不登校ってなに?
「不登校」には定義があります。
文部科学省は1991年に不登校の位置づけを「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因により、児童生徒が登校しない、あるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」としています。
不登校の理由について
まず、定義されている理由を考えます。
例えば「心理的」は「コミュニケーションや学習活動等の学校の生活環境や教育活動が不安、嫌い、苦手、つらい」など、これまでに積み重ねた集団や学校へ感じている心理的な理由。
「情緒的」は、喜怒哀楽に関わる登校したくない個人的な理由から、気持ちが安定しないために登校という行動ができないなどの理由。
「身体的」は、上記の心理的、情緒的な理由から登校しようとすると(もしくは学校のことを考えるだけで)身体的な症状が現れる場合や、病気と診断されていない身体的不調(朝起きられない、季節や気圧による腹痛や頭痛、吐き気等)などの理由。
「社会的要因」は、家事、育児を手伝わなくてはならない、自力で通学するには学校がとても遠いなどの理由。
不登校傾向ってなに❓
一例ではありますが、持って生まれた性格や性質から、まず学校のシステム・方針が合わないケースであったり、学業や獲得すべき知識知恵技能に遅れをとってしまっているケース、発達的な課題が起因しているケース、家庭事情が影響しているケース、そもそも学校での経験や人間関係が原因のケースなど様々です。
また、線引きとしている年間30日以上の欠席について考えた場合・・・
年間の出席すべき日数が約200日であるとするならば、
欠席率で考えると15%以上。
月平均で考えると2~3日程度の欠席。
数値で見る限り、この「不登校」という定義で言うと、誰にでも起こりえるようにとらえられます。
実際、日本財団が2018年に行なった調査でも、中学生の約1割が「不登校」及び「不登校傾向」であるとされています。
不登校の子どもを持つ保護者のほとんどが、不登校になることを予定としていることはありません。
子どもが学校に行かない、行きたがらない等の姿をそばで見た時に初めて「不登校」ということに向き合い始めるのではないでしょうか?
不登校は問題じゃない!
不登校は、問題ではなく現象・結果です。
現象や結果に対しては、必ず兆候や原因があるものです。
2016年には、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が制定され、不登校は学校における「問題行動」としてみないことや、「学校以外の学びの場」の意義が大きいことなどが記されました。
逆に考えると、それまで「登校拒否」が「不登校」となり、様々な多様化が進む現代においても、一律の動きができないことを「問題行動」としたり、「学校の中だけで教育が完結」するとしていたことの方が、恐ろしい状況でしたので、この法律で不登校という現象に対しての一意的な理解が進んだように感じます。
変わる不登校の捉え方
私が2008年から不登校の生徒やその保護者、学校と関わりをもっていた中で、この10年は少しずつ不登校に対しての社会的な見方が変わってきています。
義務教育はなぜ9年なのか?
教育の目的は何なのか?
学校はなぜ行かなくてはいけないのか?
この質問に対して、大人や教育従事者が子どもが納得のいく答えや考えを示さなければいけないと思います。
行かなければいけないから行く、受験のための学習、勉強のための勉強では、学べることは少ないです。
まとめ
「不登校」は教育の本質を教えてくれる大切なことです。
「不登校」であるから、ダメなわけでも劣っているわけではないです。
「不登校」の子どもは、生き方の本質を考えている優秀な子です。
「不登校」という言葉は、大人が勝手に決めた分類です。
「不登校」の期間は、色々なことを学べる大切な時間です。
「不登校」を調べたり、考えたり、向き合ったりするときには、ぜひ大きな視点と、生き方や教育の原点、長期的な展望をもって、目の前の一歩を見つけていきましょう♪
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