子どもが学校に行かなくなった時に
お子さまが思うような学校生活が送れなくなった時に、少しでも参考にしていただければ幸いです。
基本的な考え方
学校、家庭、地域が連携協力し、不登校の児童生徒がどのような状態にあり、どのような支援を必要としているかを正しく見極め(アセスメントし)、適切な機関による支援と多様な学習の機会を児童生徒に提供することが重要です。
教育機会確保法でも公共機関だけでなく、民間施設やNPO等と積極的に連携し、相互に協力、補完し合う意義が大きいとされています。
つまり、現状を見極めた際に、次の一歩を探し出すとき、一つの箱(環境)の中ですべてを解決させることが難しいケースも多く、地域で指定された学校だけでなく、「その子に合う場所を探す」という選択肢を持ち、考え方を変えていくということも大切になります。
義務教育段階の学校は、自ら学び、自ら考える力なども含めた「確かな学力」や基本的な生活習慣、規範意識、集団における社会性等、社会の構成員として必要な資質や能力等を、それぞれの発達段階に応じて育成する機能と責務を有しています。
教育関係者は、すべての児童生徒が学校に安心して楽しく通えるよう、学校教育活動をより一層充実できるような取り組みを展開していかなければならないとしています。
社会的自立のためには、
①確かな学力を身に付ける学びの場
②社会性を身に付けるための集団生活の場
が必要であり、義務教育の段階において、保護者及び自治体は、学校またはそれに準ずる教育機関に児童生徒を通わせる努力(義務教育の義務)が不可欠です。
とはいえ、家庭での支援はどうしたらよいのでしょうか?
はたらきかけながら、待つということ
アセスメントの中で、子どもがどのような理由や考えから、現状の行為行動に至っているのかを推察することは非常に重要です。
しかし、それは無理に問いただしたり、問答無用で無理やりに登校を促すことは逆効果です。
子どもが再び、学校あるいは保健室や相談室、学校外の適応指導教室、フリースクールといった学びの場に通いやすくするためには、「待つ」といった姿勢も大切です。
現在は(公認・臨床)心理士やスクールカウンセラーなどの、心の専門家が現場でも必要とされていますが、多くの識者が「待ってみましょう」「様子をみましょう」という言葉を使った時に、保護者としては、「いったいいつまで待てばよいのか」というこの先への不透明さに不安や焦りを抱える場合も多いです。
これは、現状に悩む保護者の方のほぼすべてが感じることかと思いますが、この「待つ」という行為は非常に重要であり、ただ「何もしないで待つ」ということではありません。
では、子どもが動き出すまで待つという支援方法の中核となる、待っている間にすべきことはどういったことでしょうか?
基本は「認める」&「信頼関係づくり」
子どもは当然ながら欠席している事実は認識しており、それに対しての罪悪感や疎外感、苛立ち、不安、時には劣等感を感じてしまっています。
子ども自身が、一番学校に行かなければいけないことは解っていることがほとんどです。
学校に行きたいけど、行かなきゃいけないことは解っているけど・・・心理的に、身体的に行ける状況ではないと葛藤しています。
その苦しみに近い状況を「認める」「認められる」という周囲の環境をまずは作っていかなければなりません。
「なんで学校に行かないんだ!」
「勉強しなさい」
「とにかく朝は起きなさい」etc
行動に移せない状況があるのにも関わらず、その躓きに、本質に対しての寄り添いや心配がなければ、声や言葉が届かないばかりでなく、心が離れていくばかりです。
登校刺激が逆効果になったり、プレッシャーになってしまったり、自尊心や自己肯定感を下げてしまうことで、逆に信頼関係が揺らぎ、心を閉じてしまうと次の一歩を探し、踏み出すことが困難になる場合が多くなります。
基本的には子どもの喜びや困り感を素直に話せる関係を作ることから始まります。
まずは理解と関係作りから始めましょう。
とは言っても、家族関係は積み重ねになりますので、これまでの関係性に対してテコ入れが必要な場合は、大人側の努力の方が重要かと思います。
学校に行かない(行けない)理由が明確である場合も、言語化できずによく解っていない場合も、この「認める」「信頼関係づくり」を初動にできるとよいです。
何をしながら待つのか
家庭の生活環境のベースに「認める」「信頼関係」が必要なことは記しましたが、では、具体的にどんなことをしながら待つのがよいのでしょうか?
もちろん、子どもの性格や興味関心、心身的な状況によりますが、心のエネルギーを補給するためには「1日何もしなかった」と思わせないように、生活を少しずつ充実させていきます。
自己否定が強い場合は、生活の中で、小さな成功体験や誰か(家族でもペットでも誰でも)の役に立っているという体験、承認欲求を満たして、自信や安心を持たせていくのが効果的です。
幼児の頃は、歩くだけで、遊ぶだけで、ブロックで何かを作ったり絵を描いたりするだけで褒められています。
しかし、年齢が高くなるにつれて、「できることが当たり前」「できないことがあると指摘される」が増えていきます。
褒めることはなにも「ご飯を食べるのが上手になったね」とか「歩けてすごいね」など、本人が褒められたとは思えず、「バカにされている」と思ってしまうことではありません。
あなたが生きているだけで嬉しい
あなたがいるから助かった
あなたらしさが大事
という存在や存在価値に訴える言葉や働きかけが大切なんだと思います。
会話が困難な状況もあるかもしれません。
そんな時は、生活を活性化させることから始めましょう。
会話がなくても、一緒にテレビを見る、ゲームをする、ペットと触れ合うなど間接的に関わって何らかの行動をさせることによって関係性を作っていきましょう。
外食やドライブ、ショッピング、映画鑑賞など外出に誘ったり、家族以外の人と触れ合う機会を増やすことも一つの方法です。
上手くいくことの方が少ないかもしれませんが、いろいろ試しながら変化がなければ、やり方を変えてみる。この繰り返しです。すぐに効果がでることの方が少ないです。
その場所や機会、回数を変えていきながら生活の中での刺激を増やすことで心のエネルギーを蓄え、「やがて物足りなさや新たな希望、期待から話をしたり、行動したくなるのを待つ」ということです。
この時期は、まだ学校の話をするとか、しないとかではなく、日常の中の関係を豊かにしていくことを軸足とし、着地点を「学校をどうするのか」にしないことが大切です。
「待つ」ことが、「見捨てられた」「興味を持たれていない」という想いにさせないように留意しましょう。
子どもは大人をよく見ています。
大人のイライラや、不安、不満だけでなく、自分への期待や愛情など、本当に察しがよいです。
時に本心で思ってもいないことや、発してはいけない言葉をぶつけてくることもあるでしょう。
その時は、感情的にならず、作為的にならず、心からその苦しみや葛藤に向き合い、寄り添い、建設的な会話や関係づくりに徹していく心構えが大事かと思います。
それが一番難しいのですが・・・
まとめ
子どもの幸せを願うことが教育の本質です。
思うような学校生活ができなくなったときに、一番の頼りは家庭です。
しかし、保護者の方も、心の健康に留意してください。
支える側も、支えられる側も大変つらい状況や体験を聞くことが多いので、少しでも一人にでも参考になれば幸いです。
〜紹介〜
学校に行かなくなったと言っても状況や理由は人それぞれです。
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